情熱のカムアラウンド

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認識されていなかった『スポーツの大前提』 ~日大アメフト部の悪質タックル問題に思う~

 

先日、知り合いのライターさんからメールをいただいた。

 

「アメフト詳しいですか? ニュースサイトで記事を書ける人を探しているみたいです」

 

今や誰もが知っている日大アメフト部の悪質タックル問題の件だ。雑種のスポーツ好きという意味では、普通の人よりはアメフトを知っているとしても、詳しいと言えば嘘になる。単なる一個人の意見を寄稿させていただくのも先方の趣旨には合わないだろうと思い、お断りさせていただいた。花粉症の季節が終わったというのに相変わらず体調が優れず、しかも平昌五輪の遠征費用の埋め合わせでバイトは無欠勤状態という自分の事情もあった。ただ、せっかくの機会なので、個人的な意見としてブログで述べてみたい。

 

 

「これはやっちゃダメなやつだわ」

 

それが、テレビでタックルの映像を見た最初の感想だった。パスを出した直後のアフタータックルなら、まだ話は分からないでもない。しかし、このタックルはパスを出してから数秒たっている。間違いなくタックルを制止する猶予が充分にあった。心配された選手の怪我の状態は、試合から数日後に左足に軽い痺れが出たものの神経に損傷は見当たらず、後遺症が残る可能性は極めて低いそうだ。日常生活を脅かす怪我にならなかったことだけが唯一の救いだろう。

 

小さい頃、ラグビー好きな父親の影響でテレビの大学ラグビー中継はテレビでよく見ていた。それに対してアメフトは、大学日本一を決める甲子園ボールくらいしか視聴の記憶がない。楕円級のボールを扱う陣地取りの競技である両者。その大きな違いの1つとして父親に教えてもらったのが、ボールを持たない選手へのタックルが認められているか否か? ということだった。

 

ラグビーにおいては、ボールを持たない選手へのタックルはノーボールタックルという反則になる。そして、例えボールを持っていた選手へのタックルであっても、首筋に引っ掛けるような危険なハイタックルは反則で、程度によってはシンビンと呼ばれる一定時間の退場処分が科せられる厳しい反則になる。

 

一方、ボールを持たない選手のぶつかり合いは、アメフトの陣地取りの攻防には欠かせない。わかりやすく言うと、オフェンス側の一部の選手の役割は、相手陣地への侵入ではなく、陣地取りの障害物となる相手ディフェンスを取り除いて味方の時間と道を作ること。その過程でボールを持たない選手同士が、ディフェンス側は相手のボール保持者を追いかけようとし、オフェンス側は味方のボール保持者を守ろうとして衝突する。そのせめぎ合いはアメフトの醍醐味の1つでもあるだろう。

 

他の球技を見渡しても、ボール保持者でない選手への関与が認められているのはかなり珍しいように思う。だとしても、それゆえに悪質なタックルを生む隙を作ってしまったと考えてしまうのは、アメフトという競技そのものの娯楽性の否定になってしまう。そもそも、今回の悪質タックルは陣地取りの攻防とは無関係だ。

 

今のところ、日大アメフト部の選手の言葉と監督コーチの言葉は大きく食い違っている。どちらに真実があるかはおおよその検討がつくが、真相の究明は第三者委員会や今後のメディアの追及に任せるとしよう。

 

それにしても、そもそも、なぜ大学スポーツの一競技におけるワンプレーが、アメフトに携わる人のみならずスポーツ庁長官や他競技の指導者や選手、そして多くの一般の人達を巻き込む関心事となったのか?

 

僕はこの疑問に立ち返って単純に考えてみた時に、この悪質タックル問題の正体が見えた気がした。

 

僕がテレビでタックルの映像を見た最初の感想。それは、おそらく多くの人が持った感想と似ているのではないだろうか。そうであるならば、その理由は僕たちの中で無意識にというか自然に育てられているスポーツの大前提があるからだ。

 

スポーツマンシップを著しく逸脱するような行為は、どんなことがあっても断じて許されない”という大前提が。

 

ファンを含めたスポーツ関係者のみならず、みなが共通して持っている認識。それは、たとえルールブックに細かく明記されていなかったとしても、ありとあらゆるスポーツに存在する大前提の但し書きでもある。しかし、残念ながらあの悪質タックルには、その大前提がかけらさえも残っていなかった。だからこそ、多くの人にとって異質で受け入れがたい光景に見えた。スポーツファンは「これはやっちゃダメだ」と過敏に反応し、スポーツに携わる人達は「あってはならないことだ」と断罪したのではないだろうか。

 

今回の悪質タックルは、受けた相手の選手生命を脅かすだけでなく、タックルをした選手の選手生命をも奪ってしまった。監督の指示に従わなければ試合に出られないという一種の恐怖による求心力がそうさせたのか。監督の指示を上手く表現できなかった選手の自己判断の乏しさがそうさせたのか。どちらにしても、監督・選手を含めた現在の日大アメフト部は、スポーツの大前提が正常に認識されていない麻痺状態であったのは間違いないだろう。スポーツマンシップを常に心に持つゆとりさえ失った集団。それが、悪質タックルを回避できなかった本質である気がしてならない。