情熱のカムアラウンド

sports blog 情熱のカムアラウンド

心の感じるままに。カーリングをメインに様々なスポーツを追いかけて。駆け出しスポーツライターの人生奮闘ブログ。

リスタート!!

今日からブログを再スタートします。

 

長い間止まっていた状態から何かを再開するのは、意外にハードルが高い。

何回も書き始めようと思っていたけど、いざとなると心が構えてしまって後回し。

 

最も厄介だったのは、

「ライターらしいことを書かなければ」という勝手に芽生えた呪縛。

 

カーリングをはじめとするスポーツのこと。フリーライターという生き方。単に日々思いついたこと。ありのまま思うままに日記のように書こうとして初めたブログなのに、平昌五輪で記事を書いてからおかしくなってしまいました。それは、いつの間にか、駆け出しの実績もないライターが、背伸びして“ライターらしい”ことを書こうとしていたからです。時々、それに気付いてはいたのに、中々抜け出せなかった自分が恥ずかしい。

 

これからは、「こんなフリーライターもいるんです」ぐらいの身軽さを思い出して書いてみようと思っています。どう思われてもいい。ライターらしくなくてもいい。元々、僕は絶対にフリーライターとして生きていこうと決め込んでいるわけでもないです。もちろん、中途半端な気持ちでフリーライターをやっていませんが、僕がいくつかやりたい生き方の1つがフリーライターでもあるから。

 

色々考える前に、とりあえず思いついたことをやろう。問題が生じたら、その時に考えればいい。そう考えたら、気持ちが楽になって書くことができました。

 

ライターどうこう以前に『自分らしく』あればいいかなと。

 

 

世の中には、固定観念から生まれた『世間的ならしさ』というものが存在します。

 

例えば、職場で考えれば「上司らしく」「新人らしく」を求められることもあるでしょう。性別なら「男らしく」「女らしく」だったり。ひと昔前には、30台になってもお嫁にいかない女性は、行き遅れと受け取られる時代もありました。これは、年齢的らしさと解釈することができます。

 

だけども晩婚化の今の時代、30歳を過ぎて結婚していない女性を、行き遅れと表現することはまずありません。老いも若きも男も女も、人々の生き方が多種多様になった今、そういった『世間的ならしさ』の物語は、終わりかけています。だからこそ、「自分はどうしたいのか? 」「自分はどう生きたいのか? 」という『自分らしさ』をしっかり考えることが大切になってくる。

 

これは、大学生の頃、面白くて受講していた民族誌の講師が話していた言葉の受け売りです。講師が、周囲の就職活動モードになじめない学生からの質問に対して答えたこの言葉は、今でも僕の宝の言葉です。

 

もし、皆さんが毎日の生活に漫然と違和感を感じることがあったら。

『世間的ならしさ』に縛られていないか?

『自分らしさ』から乖離していないか?

カフェでコーヒーでも飲む時間をとって、ゆっくり考えてみることをオススメします。

 

では、また。