情熱のカムアラウンド

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「神の左」を生む、高速の寄せ

私事ではあるが、数年前から情けない身体を少しでも改善しようと、フィットネスジムで汗を流している。昨日も、いつものように筋トレを終えると、1時間のランニングマシーン。最近は膝の具合が思わしくないので、ランニングは控えて早めのスピードでウォーキング。音楽を聴きながらと思いつつ、ランニングマシーンに取り付けられている小型テレビをザッピングすると、ちょうど山中慎介の世界戦が始まるところだった。「そうか、今日だったか」と、音楽はやめて、小型テレビを見ながらウォーキングをスタートする。

 

昨日行われたWBCバンダム級タイトルマッチ。チャンピオン山中慎介は7回KOで8度目の防衛に成功した。「ゴースト」と形容される挑戦者サンティリャンの不気味さが話題になっていたが、ふたを開けると終始チャンピオンが圧倒。サンティリャンが試合後、「何もできなかった」と語った通り。チャンピオンの「神の左」に対してカウンターの右を狙っていたのだろうが、それが現実になることはなかった。

 

強かった。そして、テレビを見ながら目を見張った。「神の左」と形容される左ストレートを生む、計算し尽くされた合理性に。試合を見進めるうちに、時折流れるスローを確認するうちに、その見事なまでのロジックに感服した。「神の左」と言われるゆえんでもある、相手がかわしきれないスピードとバンダム級では桁違いの破壊力。それを生み出す、傑出した間合いに入る動きに。

 

弓を射る動きを思い浮かべていただきたい。弓を射る時、より強い矢を放つために弦を目一杯に引く。弓を出来る限り引き絞ることによって、速く強い矢が放たれる。これは誰でも想像に難くないだろう。この原理は他のスポーツにおいても同様。例えば、ゴルフにおけるバックスイングであり、野球におけるテイクバック。後ろに弦を引く動きが、強い力を生む。

 

しかし、競技によっては、弦を引く行為はリスクを伴う。野球でテイクバックを大きく取れば、速いボールに対応できず振り遅れてしまう。サッカーでシュートを打つまでのモーションが大きければ、DFに寄せられ、GKはタイミングがとりやすい。素晴らしいプレーヤーは、サッカーも野球もそのリスクをさけるために、最小限にテイクバックをとどめながら矢を放つ。メッシをはじめとする海外のゴールハンター達が、DFが寄せきれず、GKがタイミングを逸するシュートまでの速さを持っているのがその良い例だ。

 

ボクシングにおいても、弦を引く動きは自殺行為に等しい。後ろに腕を振りかぶる行為は、相手に「私はこれからパンチしますよ」とご丁寧に挨拶をしているようなものだ。多分、そのパンチはかわされるか、その前にパンチを叩き込まれるという結末を迎える事になる。だから、通常ボクシングでは後ろに振りかぶらず前でさばく。

 

ならば、弦を引く事なく大きな力を得て、強い矢を放つためにはどうすればいいのか? その答えが、チャンピオンの「神の左」の最大のロジック。

 

「弓を握っている手を前に押し出す」

のである。弓を握っている手を前に押し出せば、弦を引く手はそのままでも弓はしなる。

 

「神の左」において、弓を握っている手は、彼の身体そのもの。彼の身体が、瞬時に間合いを詰めることによって、弓が引き絞られているのだ。チャンピオンが挑戦者からダウンを奪ったシーンが象徴的。チャンピオンの左が相手の顔面をとらえる瞬間、その腕はまったく伸びきる事なく、むしろ、くの字に近いくらいに曲がっていた。チャンピオンの身体が、どれだけ間合いをつめていたかを物語っている。

 

弓が引き絞られているのだから、ただ前でさばくよりも威力が増す。それだけではない。身体の前への推進力に引っ張られて、放たれる左のスピードはより走る。そして、より至近距離から放つのだから、さらに威力を増し、しかも正確に相手を射止める事ができる。スピードと威力と正確性を生む洗練された合理性が一連の動きに詰まっているのだ。

 

挑戦者は「彼のパンチはほとんど見えていたが、なぜか反応できなかった」と首をかしげた。その言葉を、そのままに受け取るならこう想像する事もできる。パンチは見えていた。しかし、見えていた時にはもはや逃げ切る事のできない位置にいた。バックステップしてかわすことも、左に回りこんでかわすこともできない距離に、と。

 

もちろん、チャンピオン本人が「序盤から冴えていた」という右のジャブも見逃せない。左を打つぞ打つぞと思わせながら、相手が左に回り込むのを牽制し、入り込む間合いを確保するための右。右によって距離を確保され、インファイトで左を打つ間合いを殺すことができなかった挑戦者は、結局アウトボクシングになってしまった。チャンピオンの左を警戒するアウトボクシングは、逆にチャンピオンの思うつぼになる。詰めれば当たるのだから。

 

右で左を打つ間合いを確保し、高速の寄せで、弓を引き絞り、矢を走らせ、至近距離から正確に放つ。計算し尽くされた、とても理にかなった「神の左」。そして、その身体の動きを可能にするために、しっかりとコンディションを整えてくる調整力は見事。年を経ても衰えず、8度の防衛を積み重ねているのは、たゆまぬ身体作りの賜物だろう。このチャンピオンは本当に強い。

 

さて、私もチャンピオンを見習って今日も身体作りに励むとしよう。継続は力なりだ。昨日よりは1時間が長く感じてしまうだろうけども。