情熱のカムアラウンド

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心の感じるままに。カーリングをメインに様々なスポーツを追いかけて。駆け出しスポーツライターの人生奮闘ブログ。

スポーツの力~ローリングバレーから~

 みなさんは、ネットの下でボールを打ち合うバレーボールがあることを知っていますか?

 そのバレーボールは、正式名称をローリングバレーボール(以下ローリングバレーと表記)といいます。少々長くなりますが、ローリングバレーの簡単な説明をさせていただきます。ローリングバレーボールは18年前に兵庫県で生まれました。障害者4人、健常者2人の1チーム6人で構成することになっており、現在では関東地区でも東京・神奈川・埼玉の3都県に活動しているチームがあります。ルールは通常のバレーボールとほぼ一緒です。コートの大きさもほぼ同じで、アタックラインもあり、もちろん後衛がアタックラインを踏み越えることはできません。ホールディングやドリブルといった反則もあります。ただ通常のバレーボールと違い、ローテーションがないので途中でポジションが変わることがありません。そして、アタックラインの前にいる前衛の3人は立つことができず中座位(膝立ちまで可能)でプレーします。後衛にはその制限はありません。そのため多くのチームが健常者2人を後衛に配している形をとっています。そして、肝心のネットですが、ネットの下のスペースはボールプラスげんこつ1個分と定められています。実際このスペースに勢いのあるボールを通すのは、想像以上に難しいのだそうです。それを考慮してか、基本的にボールは3回以内に相手コートへ返さなければならないのですが、3回目のボールをネットに掛けた場合に限り、もう1回プレーができるようになっています。試合形式は15点制、2セット先取の3セットマッチですが、1試合60分という時間制限があります。

 このローリングバレーの特徴は、何といっても最初から障害者と健常者の混成であることを前提にしているという点だと思います。スポーツでは健常者と同じ舞台で活躍する障害をもった選手もいます。また、障害者バスケなどに代表されるように、障害者であることが前提条件になっている障害者スポーツは数多く存在しています。しかし、ローリングバレーのように障害者と健常者の混成であることを前提にしている障害者スポーツは、あまり聞いたことがありません。

 しかし、私には障害者と健常者の混成であるがゆえのひとつの疑問がありました。勝負にこだわれば、比較的重い障害者を狙うというシーンは当然増える。そのとき、勝負にこだわるという姿勢と、障害者と健常者が共にスポーツを楽しむという理念は果たして両立できるのかという点でした。私は、友人が東京ベンダーズというチームでプレーをしていることもあり、先日、八王子で行われたローリングバレーの全国大会予選に同行させてもらいました。実際にプレーを見てみると、これが想像以上に激しく、前衛のアタックを前衛の選手が体を呈して止める場面では、しばらくその場にうずくまるようなシーンもありました。私は、彼と同じチームの増田さんという方にルールを教わりながら、当初の疑問をぶつけてみました。増田さんが言うには、やはり勝負優先のチームと、共に楽しむことが優先のチームがでてくるので、レベル的にA~Cの3つのカテゴリーにわけられているということ。ルールは年々細かくなってきて、スポーツ的な性格が以前よりも強くなっているとのことでした。しかし、私の疑問に対して増田さんは言います。「我々のチームは、Aリーグなので当然相手の弱点をついていきます。確かに最初は遠慮なんかもありましたが、少しでも強くなりたいと思っているうちに、そういうことは考えなくなりました」と。その後白熱した試合を観ながら、なるほど、そうなのかと感じました。みんなが指示を出し合う姿、お互いが声を出して励ましあう姿。そこには障害者も健常者もない。障害者と健常者という概念が、スポーツという枠の中でなくなっていくのだと。

 私は、同じ東京ベンダーズの森本さんの言葉がとても印象的に残っています。森本さんは夫婦でこのチームに参加していて、彼女自身は視野欠損という視覚障害をもっています。私が、「ローリングバレーの好きなところはどんな所ですか?」と質問した時、彼女はこう答えました。「うーん、団体競技だってとこかな。昔バドミントンをやっていたんだけど、あれって個人競技でしょ。やっぱり皆で力を合わせて1点を取ったり、守ったりするのが楽しいんだよね」 彼女の言葉からは、健常者とか障害者という言葉は一切ありませんでした。そのことを聞いた私の友人は、「森本の母ちゃんはすげえ一生懸命だからさ、試合に負けたりしちゃうと泣いちゃうんだよ」と言っていました。つまり、彼女は純粋にスポーツとしてローリングバレーを楽しんでいるのです。こういう形で障害者と健常者が触れ合うことがもっとあっていい、こんなスポーツがもっと広まっていい。スポーツの持っている素晴らしい力、それをローリングバレーから改めて教えられた一日でした。