14年目のウラワ日記~レッズがくれたもの~
12月2日、さいたまスタジアム2002
前半27分、ポンテの同点ゴールが決まった瞬間に、「よし、これで決まりだ」と確信した。2点差以内なら優勝の条件からして、浦和の優勝はほぼ決定的だ。前半終了間際には、ワシントンが逆転ゴールを決めるおまけつき。ハーフタイムのさいスタを支配するのは、サポーターの安堵感からくる至福の空気。
「あとは優勝の瞬間を待つだけ」
私自体、人に自慢できるほどの熱狂的なサポーターではない。ただの一サッカーファンであり、地元の誇りとしてレッズを応援している程度だ。そんな私でも、至福の空気に体を預けながら、ふと昔のことを思い出していた。
1993年、Jリーグ開幕
この当時、私はまだ高校生。レッズは地元埼玉のチームだから何となく応援していた。偶然昨年末の天皇杯でベスト4に進出しているのを見て、「結構強いんだな」と思ってた。
ふたを開けてみると、これが驚くほど弱い。この頃のレッズはとにかく負けた。レッズのパスが、誰もいないサイドラインに転がっていくシーンは、やたらと記憶に残っている。ヴェルディ戦で、ラモスとビスマルクにリフティングでゴール前まで運ばれたときなんかは屈辱的だった。地元だから、一応レッズを応援してる。でも好きなチームは? と問われると、別のチームの名前が出てくる。そんな人が多かった。サッカー部でもない、サッカー好きの同級生が言っていた。
「俺、浦和のサテライトに入りたいな」
学生時代は、浦和で過ごした。北浦和の駅を西口から少し出れば、駒場から大声援が聞こえるし、夜に大学の事務室に行けば、レッズの小旗を乗せたテレビで、事務員さんがレッズの試合を見ている。レッズのお膝元だけあって、いろんな所で、「我が街浦和のレッズ」を感じることができた。
レッズサポーターの同級生に誘われて、駒場にも自転車で何度か行った。スタジアムの中で、卒業した先輩にバッタリなんてこともあった。印象に残ってるのは、雨の日のジェフ戦。何を思ったか黄色いレインコートを着てきた友達に、さすがにひいたのを覚えている。
この頃の浦和は、以前に比べれば強かった。ミスターレッズ福田は得点王をとったし、ギドが加入したディフェン陣は、リーグ屈指の堅守を誇った。永井がデビュー戦で見せたドリブルは鮮烈だったし、小野のダイレクトプレーには、溜め息が出た。そして岡野は誰よりも速かった。岡野のゴールでW杯初出場を決めた時、浦和の岡野であることが少し誇らしくて嬉しかった。
大学を卒業した年に、レッズはJ2に降格した。J1最終節、降格が決定した中で決めたVゴール。福田は、
「今までで一番むなしいゴール」
と言った。
その数週間後に、大学時代の友達に会うことがあった。彼は降格の事はさておき、石井俊也(現京都パープルサンガ)の残留を熱く語った。1回目の契約更改で保留した選手が多い中、五輪代表候補にも選ばれていた石井は、
「移籍も五輪もどうでもいい。チームを一部に戻すことだけが目標」
と言って、真っ先に契約更新をした。その友達は、真冬の寒さと興奮で、その白い顔を幾分か紅潮させながら、私に言った。
「俊也はいいよ、最高だね」
J2を一年で突破した浦和は、着々と順位を上げていった。そんな中での、福田の引退会見。
「この先、レッズ以外のユニフォームを着てたたかっていくことは、厳しいかなと思った」
“厳しいかなと思った”という言葉尻に、福田の真面目で飾らない性格がにじみ出ている気がして、グッときた。
その後、坪井や田中といった新しいタレントが出現し、いつしか浦和は優勝争いの常連チームとなっていく。
今シーズンの夏ぐらいから、学生の頃以来となる浦和の試合を見に行った。久しぶりのスタンドは、当時と比べると、女性や子供連れの家族、年配の方々が随分と増えた。私を誘ってくれた高校からの友達は、数年前までは日本代表の試合をテレビで見るぐらいの男だったが、いまや浦和の数々の応援コールをほぼ完璧に歌ってみせる、「代表よりもレッズ」のサポーターになっていた。
試合では、レッズサポーターは相変わらず熱いが、レッズの試合運びそのものはしたたかさを増していた。開幕前、敵将のガンバ西野監督に「浦和は日本のチェルシーだ」と言わしめたその豊富な戦力。昔と比べると、日本代表の選手はこれでもかというくらいに増えた。
そしてこの日、私と友達は、始発でさいスタに向かった。もう一人の高校の友達は、ヤフオクでチケットを購入して駆け付けた。今はフットサルチームを作っている、大学時代に試合に誘ってくれた友達は、年間シートを買っているというから、スタンドのどこかで見ているのだろう。石井俊也の残留を熱く語った友達は、今日はテレビの前から応援するのだと言っていた。優勝を決めた瞬間、彼らの胸にはどんな思いが去来するのだろうか。
そんなハーフタイムだった。
試合後、お決まりのように飲みに行った。南浦和の居酒屋で祝杯を挙げながら、時々来年の話もした。優勝を飾ったことで、浦和の歴史には一区切りがついた。これからは、「とにかく勝って欲しい」から「いいサッカーをして勝って欲しい」と、より内容を求める声も多くなるだろうと思う。一昔前を思えば、随分と贅沢な話だ。
少し酔いがまわりながら、時折ハーフタイムの事が頭に浮かんだ。浦和のサテライトに行きたいといった同級生の事、ジェフ戦に黄色のレインコートを着てきた友達の事…etc。全てが今となれば懐かしい思い出。レッズが私に与えてくれたもの。それは、たくさんのかけがえのない思い出たちなんだな。そのとき酔った私の頭には、恥ずかしながら、ふとロマンティックな光景が浮かび上がっていたのである。
それは、機関車が通り過ぎる両脇に花が咲いていく光景。きっと、その機関車の名はレッズ、蒔いたのは思い出という種。
今日も、浦和の街をレッズという名の機関車が走る。人々に思い出を運びながら、そして新たに加わるちょっぴりの贅沢を載せて。