情熱のカムアラウンド

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今こそ日本代表の日本化を考えよう

日本がUAE戦に敗れた1月23日から8日後。就任からわずか約半年でアギーレは日本を去った。たった数日前までアジアカップの検証や日本代表の問題点を議論していたメディアは、今や次期代表監督は誰か? という話題で持ち切りだ。少し似ている。舌の根も乾かぬうちに、最大の関心事が日本代表の課題から次期代表監督にすり替わったブラジルW杯後と。

 

確かに次の代表監督が誰になるか? は興味のある話題だ。しかし、それによって日本代表の課題や今後を論じるトーンが大きく減少するのはいただけない。そしてそのパターンが再び繰り返されている。振り返れば、アギーレ監督就任後、私はずっと違和感を持っていた。選手選考でも戦術でも采配でもない何か得体のしれない違和感。

 

今なら断言できる。違和感の正体は、空気だった。次期代表監督が決まった瞬間に、敗戦のショックをどこか遠くに追いやる空気。日本代表の抱える問題を考えるよりもアギーレの目指すサッカーを分析する空気。日本代表の今後を論じる前に、選手選考に一喜一憂する空気。日本サッカーにとって、新しい代表監督は、失望を期待にかえてしまう危うい魔法のようでもある。

 

「変に聞こえるかもしれないが、私は日本代表の日本化を試みる」

 

この言葉が懐かしい。大きな身体といかつい風貌。ユーモアでうんちくのある言葉。稀代の老将は、かつて日本代表監督の就任会見でにこりともせず鋭い目付きでそう言った。かつては自国をW杯ベスト8に導き、オーストリアの中堅チームをチャンピオンズリーグに3回出場する強豪へと育て上げ、低迷の続くジェフを優勝争いするチームへと変貌させた熱血漢イビチャ・オシムである。

 

オシムの就任に関して、サッカー協会がどれだけW杯の検証を行い、今後の方向性を確認したかはわからない。しかし、オシムがこの言葉を発した時、大きな期待感を持った。W杯で優勝するような強豪でなくても、メキシコや南米の国々、ヨーロッパの古豪と言われるような国は、◯◯らしいと思わせる特徴を持ち合わせている。監督が変わっても、どんなタレントが出現しても変わらない太い幹。海外から見て日本らしいと思われるような、固有のサッカー文化を感じる特徴あるスタイル。オシムの4年間が、たったの4年で終わらない、方向の一貫性をもった日本スタイルのきっかけになってくれないかと。

 

とかく代表監督ありき、代表監督まかせと捉えられても仕方がないほど、4年ごとの代表監督に依存してきた日本サッカーのスタイル。代表監督まかせであった日本にとって、その代表監督がサッカー協会の誰よりも日本サッカーの今後を考えてくれていたのは、とても幸福な出来事だった。「たら」「れば」を言ったらきりがないとわかっていても、もしオシムとの幸福な時間が4年間続いていたらと時々思う。

 

そして今。ブラジルW杯で1勝もできず、各年代の代表は世界大会の切符を逃し、頼みのA代表アジアカップでベスト8止まり。模倣の域を出ないサッカースタイルの末に、進むべき道すらあやふやになった感のある日本サッカーは、確実に閉塞感に満ちあふれている。すでにW杯に5大会連続で出場し、2度決勝トーナメント進出しているのだ。そろそろ、賞味期限4年の「自分たちのサッカー」から卒業してはどうだろうか?

 

今こそ、日本代表の日本化を真剣に考えよう。もう一度日本サッカーの目指すべき道をしっかり議論しよう。閉塞感に満ち、現状に不安を感じる今は、その好機である。サッカー協会は、安易に名将選びを急いで、この好機を無駄にしてはいけない。私達ファンもメディアも、日本代表の日本化を前提に置いたうえで、次期監督選考を注視しよう。目指すべき道があってこその代表監督選びである。代表監督が誰よりも日本サッカーの今後を考えてくれているという嬉しい誤算は、そうそうある事ではない。

 

日本代表の日本化を考える事。それはきっと、代表監督選びよりも、選手選考よりも、コンフェデの出場権なんかよりも大事な作業であるはずだ。