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2014年を振り返る〜W杯 足りなかった「覚悟」と「責任」

正直、イヤな予感がしていました。

 

勝利は、何よりの薬という効力を秘めている一方で、それゆえに課題が表面化されないという側面も持っています。健康診断で引っかからなかったゆえに、荒れた日常生活が改善されないように。

 

W杯前にタンパで行われたコスタリカとの強化試合は、まさに後者でした。そして日本は、そのツケをW杯本番で払わされることになりました。

 

今回のブラジルW杯で改めて痛感した事。それは、W杯で問われるのは「集団の優秀性」だという事です。

 

「集団の優秀性」という言葉は、

①個人の力が発揮できる状況を、集団として作り上げられているか? そして、その状況を個人が使い切ったか?

組織力が十分機能できるように、個人がその役割を全うできているか?

という意味で用いました。

 

サッカーにおいてしばしば用いられる、「個」と「組織」という言葉。大事なのは、その二つを相反する二つの事柄としてとらえない事です。ラグビーでは、「One for all, All for one (一人はみんなの為に、みんなは一人の為に)」という言葉がよく使われます。サッカーも同じで、「個」と「組織」は密接につながっていて、お互いの力を高める相乗効果があるのです。

 

①について言えば、準優勝したアルゼンチンがわかりやすいでしょう。アルゼンチンが、メッシやディマリアという強力な個の力で勝ち抜いてきた、というのは間違いではありません。しかし、もっと大事なのは、メッシやディマリアがその力を最大限発揮できる状況を、マスチェラーノを筆頭とした集団が作っていたという事です。オランダにしても同じ事が言えます。ロッベンの個の力が脅威だった事は確かですが、その個の力が活かせるような集団としての優秀性がオランダにはありました。守備面で見ることができたのは、優勝したドイツ。ドイツの高いディフェンスラインは、GKノイアーの広い守備範囲のおかげと言われています。しかし見方を変えると、ドイツの高いディフェンスラインが、ノイアーの広い守備範囲という個の力を活かす状況を作り上げたと言えます。そして、上記に挙げた選手達は、その集団が作り上げた状況を臆する事なく使い切りました。

 

②については、強豪国より特に中堅国にその優秀性を見ることができました。ブラジルと引き分け、オランダをあと一歩まで追いつめたメキシコ。死のグループと言われたグループCを首位通過し、ベスト8まで進出したコスタリカ。決勝トーナメント一回戦でベルギーと壮絶な試合をしたアメリカ。強豪国ほどの個の力は持ち合わせてはいませんでしたが、一人一人の惜しみない運動量からくる献身的な守備と躍動感のあるカウンター。チームに対する共通理解と役割を全うする個人の姿勢が、「集団の優秀性」をもたらしたという事ができるでしょう。

 

残念ながら、日本には「集団の優秀性」がありませんでした。正確に言うと、失われていました。

 

南アフリカW杯の日本代表は、守備的すぎたと言われ、決勝トーナメントに進出したものの、あまり好意的な見方をされません。しかし、南アフリカの日本代表が決勝トーナメント進出を果たした要因は、「集団の優秀性」に尽きます。1トップの本田を残して、サイドの松井や大久保も戻って守備に奔走する。そして、ボールを持った時、両サイドは覚悟を持って勝負をする。集団として守る時は守る。攻める時は覚悟を持って攻める。岡田監督がチームにもたらしたのは、まさに「集団の優秀性」だったのだと今改めて気付かされます。

 

ザッケローニは就任当初、南アフリカW杯の日本代表をベースにしてチームを作り始めました。強みであった「集団の優秀性」を損なう事なく、個の力をさらに高め活かす。日本代表にとって「集団の優秀性」が“鬼”であったら、さらに高い個の力は“金棒”でした。だからこそ、期待されたのではないでしょうか。鬼が金棒を手にしたら、より高みを目指せるチームになると。

 

しかし、「鬼に金棒」とは、金棒を持っているのが鬼だからこそ強いのです。金棒を持っている本体が鬼でなければ、金棒さえ取ってしまえばまったくの怖さを持ちません。ブラジルW杯の日本はまさにそれでした。

 

コンフェデ以降、頭をもたげてきた守備の不安と定まらない1トップ。それを打ち消す為に出す結論は、守備軽視と思える程の攻撃性と、個の力を高めることに傾いていきました。その結果、一番の強みであった「集団の優秀性」を失っていったように思えてなりません。そして、タンパでのコスタリカ戦は、失われた「集団の優秀性」が取り戻されていない事を証明した試合でした。攻撃時には、押し上げが不十分なうえ個人がボールを持ちすぎた為に、相手に守備陣形を整えられてしまう。守備時には、前線からの厳しいチェックはなくディフェンス陣の個の力に頼り、全員で連動してボールを奪う事ができない。たまたま、相手の攻撃のミスに助けられ、追いつめられた末の個人プレーが得点に結びついて勝っただけで。

 

しかし、W杯本番はそう甘くはありませんでした。選手達の不調も相まってか、仮に集団として個の力を活かす状況を作っても、覚悟を持って勝負できない。個の力が活かせない時に、集団の一人となって献身的に働く責任が足りない。

日本に足りなかったもの。それは、「集団の優秀性」を保つだけの「責任」と「覚悟」だったように思います。

 

アギーレ監督が就任して以降、そのサプライズ人選や采配評価、そして八百長関与疑惑に一喜一憂の日本サッカー界。しかし、W杯での苦い記憶からたった半年しか経っていないのです。今の、日本代表に勝利という名の特効薬は必要ありません。もう一度「覚悟」と「責任」を取り戻す戦いを期待します。そのリハビリを冷静に見つめていきたいものです。

 

 

 

私事ですが、今日より旅行に出かける為、今年最後のブログ更新となります。この記事を含め、投稿した記事をお読みいただいた皆様、本当にありがとうございました。来年も皆様に少しでもいいものをお読みいただけるよう努めて参りますので、よろしくお願い致します。