情熱のカムアラウンド

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日本に足りない「必死さ」と与えてしまった勇気

日本代表の記事を書こうとして、こんなにも気が重かったのは初めてな気がする。

 

たとえ日本代表がどんな時でも、書こうとすればそれに見合うだけの熱があった。ふがいない戦いをすれば、やるせない思いが私を突き動かしてくれた。残念な敗戦があれば、悔しさが突き動かしてくれた。素晴らしい勝利があれば喜びや期待が、感動を呼ぶ選手の姿を見れば伝えたいという気持ちが。

 

だけども、最近はそのどれもがおよそ欠けていた。失望が続いたその後にきたのは、諦めに似た感情だった。諦めの感情から熱を作るのはあまりに難しい。

 

W杯予選シンガポール戦の引き分け後、多くの人達が語っていた戦評も拝見した。戦術に原因を求める人。監督に原因を求める人。選手に原因を求める人etc。意見は様々だが、落胆の原因は、多分私を含めたほとんどの人が同じではないだろうか? どんなにマズい試合をしようと、課題の残る試合であろうと、勝ちはするだろうと思っていたからだ。

 

今回の東アジア選手権に関しても、少なからず同じような感覚が多くの人にあったのではないかと思う。苦戦はするだろう、でも1試合くらいは勝つだろうと。しかし、日本はついぞ勝つ事ができず、最下位で大会を終えることとなった。

 

シンガポールに引き分けても、なんだかんだW杯には出場できるだろうとは思っていた。東アジア選手権で勝てなかった今も、まだその思いはどこか残っている。でも、本当にそう思い続けていていいのか? とも思い始めている。苦戦しようが、勝ち取れるだろうと思っていたW杯の切符を逃したら。仮にW杯に出場できたとしても、出場するだけで前回の教訓さえ活かせなかったら。その時、私達はブラジルW杯後の4年間をどう総括するのだろう。

 

そう考えると、「なんとかなるだろう」を最後の拠り所として残していることこそが、一番の問題に思えてきた。ファンが監督や選手を批判しても、解説者が日本代表の問題点を指摘しても、いくらメディアがアジアの壁は厳しいと口で言っても、心のどこかで「W杯には出場できるとは思うけど」という接頭語がついていることが。

 

だから、選手は敗戦から得られる経験と教訓を、ファンはベストメンバーではなく新戦力の見極めだったことを、勝利できなかったこと以上に強調する余地が残されている。残念だった、しかし今後に活かせればと。そう考えれば、言い訳がましい言動とはいえ、ハリルホジッチが一番焦っていたのも合点がいく。日本代表だけでなく、彼らを取り巻く日本全体もまた「必死さ」が足りなかった。かくいう私も足りなかった。いや、現在進行形でまだ足りない気がする。

 

そして、この1年のうちに日本は、UAEに、北朝鮮に、中国に許してしまった。日本に負けなかった。頑張ればなんとかなるという成功体験を。成功体験が彼らに与える勇気。私はこれが一番怖い。W杯に出場するだけの日本では満足していないのに、だ。