情熱のカムアラウンド

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UAE戦で見た光景 〜少なき競争の代償〜

日本が1-2で敗戦したUAE戦を見てから数時間後の深夜、サウジアラビア対タイの試合を見た。

 

ホームのサウジアラビアは、ボールを保持しても特筆する怖さを感じなかった。タイの守りは、ブロックは作っていたがボールを奪い取る迫力はなかった。ただ、タイの攻撃には見るべきものがあった。巧みなトラップで相手のチェックをかわす技術と、前にスペースがあればドリブルで切り込んでいける推進力。特に、トップ下のチャナティップと1トップを務めたティーラシンはかなりの実力者だ。結果はサウジアラビアがかなり微妙なPKをいただき、きっちり決めて0-1で勝利。うまく試合を進めていたように見えたタイが勝ち点1すら逃してしまうのだから、やはり勝負はわからない。

 

勝ったサウジアラビアはそれほどでもない。そして、負けたタイは決して見劣りはしない。次戦タイでアウェーとなる日本は、厳しい試合になりそうだ。オーストラリアを除いた5チームは、最後までもつれるんじゃないだろうか? 試合内容だけでなく、色んな想いを巡らせながら見たこともあって結構楽しめる深夜観戦だった。テレビ朝日には、ぜひ今後とも日本戦以外の試合も放送してくれることを期待したい。日本代表に一喜一憂するだけではもったいない。他国の戦いもひっくるめてアジア最終予選そのものを楽しむ方が有意義だ。

 

 

間違いなくUAE戦の落胆が僕をひどく冷静にしてくれている。

 

 

「審判の笛の吹き方は受け入れがたい」(ハリルホジッチ)

確かに審判のレフェリングは、ひどかった。例えば、1点目を決められたFKを与えた吉田のファール。ノーゴールになった浅野のゴールラインを割っていたシュート。それは、この試合の結果を左右した大きな要因だ。

 

それなのに、怒り狂えなかった。親善試合ならまだしも、これはW杯出場を争う最終予選である。そんな大事な試合でひどいレフェリングがあったのに、怒り狂うことさえためらってしまうくらい興奮できていなかった。これが、本当にW杯最終予選の戦いなのか? と疑ってしまうほどに味気なく感じてしまった。

 

先制点となった本田のヘディングシュートは素晴らしいコースだった。前への推進力を見せていた選手もいた。体のぶつかり合いで負けぬシーンもあったし、いいカバーリングのシーンもあった。しかし、それ以上に首をかしげるようなシーンが多かった。個人的な意見をいくつか挙げれば、直接FKに両手を伸ばしてはじかれた西川は、片手でパンチングにいって欲しいと思った。序盤、ペナルティエリア付近で何度か見せたスルーは、その後の布石にできたように思う。パスの入らなかった香川には、パスを引き出すオフザボールの動きを見せて欲しかった。清武を最初に交代させたハリルホジッチの采配は、セットプレーのファーストチョイスになるキッカーを失わせた。

 

 

「期待された通りのプレーができませんでした。ボールをより早く動かして欲しいと要求したんですが、残念ながらそれができなかった」「私のチョイスが悪かった」(ハリルホジッチ)

 

本当にホリルホジッチが語ったように「もっと良い選手がいなかった」のだろうか? 少なくとも僕はそう思わない。チョイスが悪かったのだとしたら、それはなにも大島や清武を指すことだけが妥当だとは思えない。選手のコンディションや適正ポジションを考慮すれば、もっと良い選手はいると思う。決定打に欠けるポジションも多く、競わせるべき選手はいると思う。

 

「守備も攻撃も修正しなければいけない点がたくさんある」(長谷部)

 

試合後にいつも同じようなコメントを聞かされているように感じるのは気のせいだろうか? 数ヶ月に1回の合流で、戦術理解度や連携面の大きな改善を求めようとは思っていない。ただ、対戦する相手をチームとしてどう守りどう攻めるのか? というヴィジョンは共有できてきてもいいはずなのに、どうも見えてこない。共有ができてないから、判断のスピードも上がらない。むしろ、個々が自分自身の方法論にこだわっていることが擦り合わせの妨げになり、お互いが活かされる形ができていないように見える。

 

ハリルホジッチが求める「デュエル」は、フランス語で「決闘」。1対1での勝負、球際での激しさ。

 

「デュエル」を体現できていない選手が見受けられたのは、全てコンディションの問題なのだろうか? 攻撃においては、決闘よりもペナルティエリア外で攻撃の作り直しなる回避と保留に多くの時間を費やした。そして、PKを取られたシーン。UAEの選手は3人に囲まれた状況で、突破することに活路を求め、日本の守備は1対1ならず、3対1の決闘にも負けた。

 

 

なぜ、コンディションの悪かった選手がスタメンに名を連ねてしまったのか?

なぜ、適正ポジションのかぶるような選手が同時起用されたのか?

なぜ、試合後に同じようなコメントを聞かされるのか?

なぜ、監督の求める「デュエル」が体現できていないのか?

 

それは、何もこの日に始まったことではない。僕が大きく落胆したのは、度々目にしているような見飽きた光景を見せられたからだ。よりによって、親善試合などではなくてW杯最終予選の初戦で。

 

 

そんな疑問の行き着くところは、競争があまりにも希薄だからだ。

 

 

競争がないから、コンディションが悪くても、デュエルができなくても代表のピッチに立つ。適正ポジションのかぶる選手がいても、同時起用される。いいプレーができなければ次は保証されないという危機感が薄いからこそ、選手はまるで次も選ばれる前提で試合の反省と次戦の抱負を口にしてしまう(今回はタイ戦とセットで招集されているという面があるが)。次回も代表に選ばれるとは決まってないので、スタメンに選ばれるとは限らないので、また選ばれるように頑張っていきたい。そんなコメントは随分聞こえなくなって久しい。

 

その結果、代表経験のある選手の数は限られ、競争なきゆえに切磋琢磨するなかでのレベルアップは感じられない。選ばれることが確約されたような選手達が数ヶ月に1回合流し、ピッチでは同じような光景が披露され、毎度のこと同じような課題と修正点を持ち帰っていく。予防処置もできず、是正処置すらいつまで経ってもままならないままに。

 

 

これでは、試合に興奮することも、レフェリングに怒ることも出来なくなってしまう。

 

 

コンディションが悪ければ外せばいい。適正ポジションがかぶるなら競わせてどちらかを選べばいい。決定打に欠けるポジションならば代わる代わる試合に出させて競争心と刺激を煽ればいい。監督の要求を体現できなければ外せばいい。負けることへの危機感よりも、試合に出られなくなることへの危機感が上回って欲しい。

 

つい先月まで、僕らは日の丸の重みを感じて戦う多くのアスリートの姿に心を打たれてきた。だからこそ、今の代表の光景はあまりにも異質に見えてしまう。私物化されたようなチームの内輪作業を見せられて落胆してしまう。精神論だけで物事を片付けたくはない。しかし、競争意識の希薄さゆえに必死さが今ひとつ伝わってこないのだ。

 

競争なき集団は停滞する。このままでは、ロシアW杯への道はおろか、素晴らしき戦いを熱望する人々の心さえ離れてしまいかねない。